と、連載4回目にして、前置きのようなことを言ってみる。連載1回目に言っておくべきだったが、しょうがない。
では、本題に移ろう。1月4日の話である。朝起きる。いてっ。筋肉痛だ。キーパーで張り切りすぎたせいだろう(No.3参照)。まあいいや。今日の勉強は〜ららら〜明日やろう〜♪
だめだ〜今日やらなきゃだめだ〜♪
なんて歌いながら、仕方なく椅子に座り机に向かい会社法を始める。むむむ・・・むむむ・・・むむむ・・・む、難しい!というか、条文多い!長い!読みづらい!三重苦に耐えながら、3時間。
つ、疲れた。そして、適性試験のセンターの方を始めて解いてみる。出来る出来る出来る出来る。94点。なんじゃこりゃ。簡単じゃねえか。いやいや待てよ、ビギナーズラックというものがある。もう一つ解いてみよう。出来る出来る出来る出来る。92点。そこで、ぽいっと適性試験の参考書をベッドの上に投げ捨てたことを後に僕は後悔するのだった。
僕は恐怖におののいた。戦慄が走るとは正にこのことであろうか。そう、日弁連にやられたのだ。忌々しき日弁連。後に、これは第一次日弁連事件と呼ばれる。その次の日に第二次日弁連事件は起きた。
事件の概要はこうだ。
センターが楽勝だったので、日弁連も余裕のよっちゃん、どんとこい錦鯉、とふんぞり返って、鼻くそほじりながら、日弁連の適性の過去問をやったときだった。僕の背筋は凍った。寒さのせいか?確かに暖房はつけていない。まったく、1月に暖房をつけないなど自殺行為だ。し、しかし、寒さのせいではなかった。
難しいのだ。時間が全く足りないのだ。これはまずいと思った僕は、計画を練り直すのだった。もちろん、適性試験を多めに配置したことはいうまでもない。
もちろん、計画を立てて満足した僕が「明日やろう」の呪文を唱えたことも言うまでもない。
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